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【本の紹介】『スローラーナー』トマス・ピンチョン

 

スロー・ラーナー (トマス・ピンチョン全小説)

スロー・ラーナー (トマス・ピンチョン全小説)

 

 

今後読む予定がない人のためのトマス・ピンチョン著『スローラーナー』紹介です。

トマス・ピンチョンという小説家がいて、その作品は難解とされています。以下は文学作品のいくつかに興味はあるもののピンチョンまで手を伸ばせないという人向けの文章です。ネタバレには留意しませんので、今後ピンチョンに手を伸ばしてみよう、あるいは手を伸ばすかもしれないという人には向かないかもしれません。

ピンチョンって誰? という人はウィキペディアを見ると興味が出てくると思うのでまずはググってみることをおすすめします。アメリカ文学では大御所でありながらユニークな作家としてわりと有名です。

 

紹介するといいながら僕自身ピンチョン作品すべてを通読したわけではなく、読んだ作品は今のところ、『スローラーナー(文庫版)』『ヴァインランド』『競売ナンバー48の叫び』『V.』『重力の虹』の順で読んできて、やや訳が古い文庫版の『スローラーナー』をピンチョン全小説集で読み返したところです。

この記事を読むメリットは、あくまで主観で書かれてはいますが『スローラーナー』の魅力について書かれた文章を読むことで、ピンチョンを読んだことにできるというところにあります。大体の人はピンチョンを読んでない(読んでも理解していない*1)ので、この記事で仕入れたぐらいの情報でも十分です。『スローラーナー』は短編集なので他の長編に比べて読みやすい部類に入ると思いますが、長編を読んでおいたほうが魅力が入ってきやすいということもあり、少なくとも『V.』(上下巻)は読んでおきたい。そうなると大変な量の文字に目を通さなければならないし、目を通して理解できるかどうかというのは相性もあって別問題。結局ネットの感想を拾い読みするほうが話が早いということになるかと思います。そのひとつとしてこの記事を利用していただければ幸いです。

 

ピンチョン作品全般について

ピンチョンの大ざっぱなイメージは、大御所感のない大御所です。ピンチョン研究は豊富で、高い文学性をもつといえるのでしょうが、彼の書くものが純文学なのかと言われると疑問です。純文学というカテゴリに収まりきらない作家だということは間違いないでしょう。

そんなピンチョンを理解するキーワードのひとつが「テレビ」です。

テレビはその影響力の大きさに反して登場から現在にいたるまで馬鹿にされ続けています。「馬鹿にされるメディア」という性質を持っているといえるでしょう。その馬鹿にされるという性質をピンチョンは愛しています。映画や文学のもつ高級感に対してアゲンストの立場を取るというのをテレビへの偏愛で示そうとする。この歪んだやり方にピンチョンの真骨頂があるように思えるのです。(まあ、単純にテレビっ子なだけだと言われるとそうも思えます。)

「真面目で立派なもの」が踏みつけにしてきたものを守ろうとするのは、その行為自体が称賛されるべき真面目で立派なことになってしまいます。そうやって真面目さや立派さで対抗するのではなく、くだらないものをくだらないものとして自立させることで「別の有り様」を示すこと。難解な大作として知られる『重力の虹』も、こうしたピンチョンの姿勢を理解せずには読めません。あれは馬鹿でかい石碑で、書かれてある事自体はくだらない(つまらないのではありません)。そこに感動する仕組みです。

ピンチョンの主人公は基本的にみすぼらしい。歴史シミュレーションゲーム三国志シリーズの登場武将でいうと「淳于瓊」*2や「傅士仁」*3を主人公として書かれた歴史小説のような趣があります。それでいてページ数は1500を数えます。

こういう駄目な主人公を据えるというのはよくあるパターンなので、ユニークなのはそれによって馬鹿でかい石碑を打ち立てたところでしょう。凡将を主人公にするというのはスピンオフとして考えられるものですがそうじゃなかった。凡将を主人公にして大作を編み上げたところにピンチョンの特色が生まれたのです。ページ数の多さ、情報量の多さというのはピンチョンを語る時には外せない性質です。

そういう意味でピンチョンは長編向きの作家だということができます。短編では「くだらないことが書かれた荘厳な石碑」という感動はない。では『スローラーナー』は読む価値がない短編集なのかというとそうではありません。これより先に読むべき、あるいはこれと併せて読むべき作品はありますが、最初から『重力の虹』に取り掛かっても挫折を知ることになるだけです。

 

スローラーナーでもっとも読みやすく面白い部分

『スローラーナー』は直訳すると学習遅滞者で「のろま」という意味もあります。この本で一番読みやすいのは「序」で、若いときに書いた短編を本人がくさすエッセイテイストの文章です。ピンチョンには覆面作家という一面もあり、書き手が直接姿を見せるエッセイのような文章は他では読めないこともあってなおさら貴重です。

「のろま」というのはこの短編を書いた若かりし頃のピンチョン自身にかかっています。作品の欠点や難点を作者自らつまびらかにしていく語り口は容赦ない舌鋒の鋭さもあり相当ユーモラス。いわゆる自虐なのですが標的になる作品との距離感が絶妙なので、読者がこれから読むことになる作品をあらかじめ貶すという無茶をしているにもかかわらず、かえってその作品が読みたくなるというウルトラCが繰り広げられています。作家としてこういうことをしてはいけないということがフランクに書かれているので小説家が読んでためになる文章でもあります。「知らないことを調べもせずに知っているように書いてはいけない」というような当たり前のことですが、下ネタも織り交ぜながらあれだけ多岐にわたる情報をバリエーション豊かに、”雑多に”書いているピンチョンが言うと説得力がいや増します。

肝心の感想の言い方ですが、スローラーナーについてはまず「序がいい」と言いましょう。そうやって相手の出方を伺います。「序良いよね」などと食いついてくるようなら一度相手の話を聞くことに力点を置き、ある程度相手の話が落ち着いたころを見計らって「でもやっぱり『シークレットインテグレーション』が好きなんだよなあ…!」と言い放ちましょう。

 

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淳于瓊と傅士仁(「三国志13」より)

 

 

『シークレットインテグレーション』の仕掛け

『シークレットインテグレーション』は黒人差別があった時代が舞台です。大人の世界に反感を持つ早熟の少年グローヴァとその友達のティムとエティエンヌ、彼らの目線で大人の犯している間違いをきびしく批判し、過誤からくる抑圧をくぐり抜けようとする話。グローヴァは小学生ながら微積分を学んだり、父親と社会問題について議論したりする天才少年です。風景描写は雨が多く、3人はいつも水たまりに足を取られないように注意しながら全力ダッシュしたり、いたずらを仕掛けたりしています。子供が主人公ということもあって社会的不公正に対する怒りが素直に出ていて、そういう姿勢そのものに郷愁を掻き立てられます。小学校に黒人の子供が転校してくるというだけで大騒ぎになるような時代、3人は引っ越してきた黒人の子供カールをいたずら仲間に加えます。カールはいたずらが上手い賢い男の子で4人は秘密基地でつるむようになります。

4人で遊んでいてもカールだけは大人たちに無視し続けられます。お菓子を買う時も4つ注文するのですが、いつも「3つじゃないの?」と聞き返されたり。しかし、それもそのはず、カールは子供たちの生み出した”イマジナリーフレンド”だったという種が明かされて小説は終わります。

不条理に対する苛立ちがハッキリ描かれていて、その対抗手段として「想像の友達を作り上げる」という子供っぽいやり方をしていてコミカルなのですが、何かを当たり前のように踏みつけにする社会に対する作者の反感がはっきり表れている、ピンチョンには珍しい作品です。長編においてはそういった苛立ちや反感は通奏低音のように響いているのですが、前面に出てくるというのが珍しく、青臭いと評価される点になるかもしれません。だがそこがいいと言ってください。逆にそこがいい、と。一般に欠点ともとれるところを好きだと言うことで偏愛を示すことができます。偏愛と文学は相性が良いからです。読書にはある程度の時間と集中が要求されます。別のコンテンツと比べて払うコストが高い分、思い入れの度合いが否が応でも高まっていきます。そうやってエスカレートした思い入れは客観的に見て偏愛と呼ばれるものになりますが、そうなってやっと一人前という明らかに錯誤したバロメータが存在し、文学愛好家間では通用します。そこを利用するのです。そのニュアンスを出すための「でもやっぱりシークレットインテグレーションが好きなんだよなあ…!」なのです。

 

まとめ

まとめるとこうなります。

・ピンチョンは雑多な知識を織り交ぜながら壮大な長編を書く大御所感のない大御所だが、短編の『スローラーナー』に関して言えば覆面作家という立場から一瞬だけ素顔を覗かせるような作品が多い。とりわけ「序」のエッセイ調の文章と『シークレットインテグレーション』では矛先こそちがうものの素直に「怒り」が表出されていて、彼の本質に触れたような気がして親近感が湧く。また、後々の作品にも登場するキャラクターはすでに何人か顔を見せていたり、「学習遅滞者」とタイトルで示すとおり習作という色合いもあるにはあるのだろうが、『アンダー・ザ・ローズ』はほぼ完成の域であるなど、片鱗を見せるという以上の出来であるのは間違いなく、他の長編作品と同じく何度読み返しても色褪せない作品群だと思われる。

・今後ピンチョンを読む予定がなくても、とりあえず『スローラーナー』の序だけは読んで、その他も読むかどうかを判断するのがおすすめ。それだけで「ピンチョンを通った」と言っても嘘にはならないので。

 

 

スロー・ラーナー (ちくま文庫)

スロー・ラーナー (ちくま文庫)

 

 ↑こっちは訳が古いですが文庫なので安いし、ヴィレッジヴァンガードにも置いてます。

 

*1:読んでも理解したとは言いにくい

*2:「三国志13」能力パラメータ:72/66/22/29(統率/武力/知力/政治)

*3: 「三国志13」能力パラメータ:46/63/37/24(統率/武力/知力/政治)