だから結局

So After All

【本の感想】『FACTFULNESS』ハンス・ロスリング

「真実とは皆さんが考えているようなAではなく実際にはBなのです」

FACT(事実)を伝えるというとき、その言葉を使う裏にはこの回路が走っている。

その回路を読み取る力があり、その事実を自分が持っていなかったことから発する羞恥心が働くと、いかに事実であろうとそれを受け入れることは困難になると思われる。”大人”の場合はとくに。反感をおぼえるからだ。

そもそも、『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』という書名を聞いたときに胡散臭さを嗅ぎ取るのは僕自身の感性に照らせばもっともなことだと思われる。「〜フルネス」というのは今時点では流行語的に見えるし、それにFACTという強い言葉を乗せるのはあまりにコテコテ、つまり「刷りまっせ売りまっせ」という商人魂が七色に光り輝いているように見える。胡散臭い輩は大量にいるし、そのいちいちについて検討するほど時間が有り余っているわけではない。そのため胡散臭さを感じ取って回避することは必要な能力だ。

しかし、難しいと思うのは、だからといって感じ取るまま回避し続けていても誤謬に陥ってしまうことだ。しかもその場合、自らの誤りに気づくことはほとんどできない。それがわかっているから、感じ取るままでいることを恐れ、立ち止まって考えてみようとする。そしてそんな内省的な人間が言葉巧みなべつの人間の標的になる。たとえば、

「考えてみてください」

聴衆に向けてこう語りかける”誠実そうなイメージ”が悪用されることも多い。

「あなたがたの考える力を信じています」と真顔でいえる人間はそれなりに限られていると思う。そういうことを言えるためにはある面での無能力が必須だと思うからだ。それよりはまだ信じてなどいないが一定の効果を狙って言うパターンのほうが多いだろう。大半は決まり文句として言っているだけにちがいない。

FACTFULNESSは「考えてみてください」と読者に語りかけるタイプの本だ。

そしてその手管がものすごく上手い。能ある鷹は爪を隠す、というが、この本のなかで著者ハンス・ロスリングはある面での無能力を完璧に装っているといっても言い過ぎではない。その点で僕はロシアの劇作家を想起した。彼の言葉に、

 

私は個人を信じます。知識人であろうと農民であろうと、ロシアの至る所に散らばっている個々人の人格に救いを見るのです。数は多くないかもしれませんが、確かな力です。

 

 というものがある。『FACTFULNESS』を読めば著者のスタンスとこの言葉が響き合っていることに気がつくだろう。この言葉をのこしたのはアントン・チェーホフ。世界でも有数の劇作家で、『かもめ』『三人姉妹』『ワーニャおじさん』などの作品はいまも上演される。彼も医者だった。

 

この本は最初の方でドラマチックな物の見方をすることをたしなめる。それが極端な意見や不要な恐怖を呼び起こすからと。誤った思考パターンにはまりこみ、物事を0/1で判断しようとするとそこから先に進めず思考停止に陥る。分断するのではなく、物事を少なくとも4つのレベルにわけて考えるべきだと主張する。

しかし、この本を読んで感動を受けとらないのはむずかしいと思う。章ごとに挟み込まれるエピソードが説得力の面で効果をあげているのは明らかだ。彼の語り口はドラマチックだし、とくに第七章のビジョンの話をするところの会話描写でその効果はてきめんだった。感動的なのは、それぞれのエピソードが実際に彼が体験した出来事だからというだけではなく、それをうまく利用したからこそだと思う。そこにはしっかりとした演出がある。

 

FACTFULNESSにならって嘘と事実のふたつにわけるのではなく、4つにレベル分けして考えたほうがいい。

【真っ赤な嘘】【嘘】【事実】【興味深い事実】

あるレベルから別のレベルに移ろうとする試みはすべてそれなりに興味深い。努力や工夫を要するからだ。

適当に考えると【嘘】→【事実】がもっともむずかしいレベルアップだと思われるが、希少でドラマチックだから興味を引きやすい。【嘘】→【興味深い事実】という飛び級レベルアップにつながる。狙い目かもしれない。

『FACTFULNESS』が試みているのは【事実】→【興味深い事実】というよくあるといえばよくある”堅実な”レベルアップなので、それが上手くいっていること自体はドラマにはならない。

事実はそれが周知の事実にまでなると陳腐化したり退屈になる。周知の事実になるためには興味深い事実でなければならないが、周知の事実になると途端に興味深い事実ではなくなる。興味深い事実でなければ聞く耳を持ってもらえない、また、みんな知っていることを声高に主張しても注意をひくことはできない。

それでも過激さに走らずあくまで穏当に留まろうとする姿勢そのものが「考えてください」と言っている。ふたたびチェーホフの言葉。

 

「〈神はある〉と〈神はない〉の間には巨大な野原が広がっており、本当に賢い人間にとってそこを通っていくのは容易なことではない。ロシアの人間はこれらの両極のどちらかを知っているが、二つの極の真ん中には興味を持たない。それゆえ普通はその真ん中については何も、あるいはほとんど何も知らないのだ」

 

『FACTFULNESS』も第一章で分断について問題提起している。そのへんの問題意識も共通している。

 だから結局、ドラマチックにするなよと嗜めているのではなく(するならこれぐらいはやってくれという実例とともに)下手なドラマに仕立てるのを嗜めているのである。

『FACTFULNESS』は読み物としても面白いが、面白くない事実を興味深く伝えようとしているところに面白味がある。起こりうる反感を事前に察知し、宥めたりすかしたり躱したりして知識の伝播をできるかぎりスムーズに行おうとしているところは誰にとっても参考になると思う。何らかの知識を効果的に伝えようとするとき必要になる能力だからだ。それに成功した実例とその手法についても書かれていて、そこを読み込もうとしてみても面白い本だと思う。

 

 

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

  • 作者: ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド,上杉周作,関美和
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2019/01/11
  • メディア: 単行本
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チェーホフ 七分の絶望と三分の希望

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