だから結局

So After All

ブログを書いてみてつらかったこと

最近毎日働いている。毎日働くのは毎日休んでいた身にはさぞ堪えるだろうと構えていたが、そうでもなかった。ただ十分な睡眠時間を確保することを至上命題としているので、一日に自由に使える時間、いわゆる可処分時間が思う様少ない。

ちょっと本を読んでジムに行ったらもう一日はおしまいである。

それが週5日繰り返される。体力的にはゆとりがあるのだが(なぜなら毎日十分に寝ているから)、とにかく時間が少ない。週末にしてもたっぷり時間があるようで主観的には一瞬で過ぎ去る。全然だめである。

行き帰りの電車内で本を読まないとやっていられない。そうでもしないと一日何にもしていないことになってしまう。時間をお金に変えてはいおしまいではつらいものがある。時間給で働いているので余計そう思うのかもしれない。残業代は出るし、時間外として多めにもらえるのだがそんなものほしくない。いやほしいけど。でもやっぱり時間のほうがほしい。

残業代より自由な時間のほうがほしいと言っていたいだけでは?

まあそれはそうかもしれないが、それは半端な真実というもので、もっと本当のことをいうなら残業代と自由な時間がほしい。それから働くのは週3日もあれば十分だ。あと金はあればあるほど良い。

しかし時間がないというのは結構堪える。暇を持て余すのもそれはそれで結構堪えるものだが、暇でしょうがなくてやむを得ず活動するというのが人間の本来あるべき姿だと思う。本来の姿(=自然)から離れていてしかも堪えるのは余計つらい。無職は無職でいくらでもぼーっとできるかというとそんなこともなかったりするのだが、それでも今の自分が仕事後の時間を少しも無駄にしたくないと気忙しくしてしまい、ぼーっとすることもろくにできていないのは健全じゃないなと思う。

無職期間は方向が定まらないので心が試されていた気がする。だいたい半年ぐらいで「無職もういいや」となってやめてしまう生半な無職だったのでえらそうに言えることではないが。

仕事なんかやる気を出せば出すほどラクになるし、時間もすぐに経つので、世に社会人が多いのも納得という感じである。睡眠時間も削って仕事一筋なんていうのは要するに怠惰なんだと思う。人のやることにケチをつけるつもりはないが自分はそうなりたくない。

 

ブログを書いてみてつらかったことは、書きたいと思うことほど書けないということで、最近では「スパイダーマン:スパイダーバース」に深い感銘を受けたので「スパイダーバースおすすめ!」という記事を書きたいと思ったのだが、反故しか書けずに終わった。自分は気持ちが溢れると勢いで書くようなものしか書けない。それで良いじゃんと思ったりもするが、好きという気持ちがそれで良いじゃんといういい加減な気持ちといい加減な東京弁を木槌で叩き潰す。

一方、書きたいと思わないことはそもそも書きたいと思わないので書かない。ちょっとだけ書きたいことはあるにはあるが、ちょっとだけしか書きたいと思わない。よっぽど暇じゃないとそんなことしない。ぼーっとしているときにしかブログは書けない。

今は借りてきたCD46枚のうち残り6枚分のショパンの音楽データをMacBookに読み込んでいる合間にこれを書いている。

わたしはブロガーだが「書かなきゃ」と思って書くことはするまいと思っている。なので余計書かない。書かないに拍車がかかる。書かないが嵩にかかる。書かないが幅を利かす。傘がないは井上陽水の曲である。

毎日動画を上げなきゃ」と思って動画を上げる者は真のYoutuberにあらず、「毎日動画を上げたい」と思い実際に毎日動画を上げる者が真のYoutuberなのだ。自分はYoutuberの動画をまったく見ないがそう思う。

 


傘がない / UA