だから結局

So After All

久しぶり日記

・久しぶり日記とは

久しぶり日記とは、久しぶりに書く日記のことである。誰しも日記を書く習慣をつけようとおもっては三日坊主になるという体験をしているが、それをネガティブなものとするのではなく、ポジティブに捉えることが日記を再開するためには有用であると思われる。具体的には、そろそろ久しぶり日記を書けるなと思い、こいつはラッキーとばかり久しぶりに日記を書き始めるのである。この手法は、久しぶりブログ、久しぶり作曲、久しぶり相席屋など、いろんなタイプのクリエイティビティに応用がきく。

 

・最近やっていること

小説を書いている。書き始めたばかりでまだ書き終わりが見えていないこの段階でこんなことを言ってもしょうがないとは思うが、自分の心理的傾向にあった、自分のための小説を書くコツを掴んでいっている最中でもあるので、新たなコツを見つけるために溜まったコツを手放すような気持ちで箇条書きにする。

一、ハードルを下げる

一、5〜6件、並行して書く

一、書くのと読み返すのを同じ日にしない

一、可能な限りだらだら書く

あとは規範意識みたいなものに縛られないのも大事だと思う。こうじゃないと、こうしないと、という声を無視しながら進めていく。その声にいちいちかまっていたら大事なことを聞き漏らすにちがいない。

 

・最近のむかついた出来事

友人が最近よく言う「人生なんてそんなもんやしな」に腹が立った。

まず、会話を進める気がないようなセリフを吐く奴は駄目だと思う。主語がでかいので全員を巻き込む全体攻撃だが、そんなもんというそんなもんの程度は受け取った者それぞれだから「せやな」ぐらいしか返答のしようがない。「〇〇(という状況)が嫌だ」というように不満を口にしているときにこう返されると「まだそんなところで消耗してるの?」という憎たらしいニュアンスが悟り顔とあいまってとても腹立つ。そのくせその友人、直後の会話から延々と愚痴をこぼしていたりするのだ。

「人生なんてそんなもんやしな」は自分にむけて言うセリフで他人に言うことじゃない。百歩譲って自分と他人に言うならまだわかる。自分には言わないで他人にそう言うというのはどういう神経しているのかわからない。

---

しかし、考えれば考えるほど、そういう愚図な言い分を開陳して少しも恥じるところがないような在り方に惹かれていくというのも事実として自分の中にあるわけで、そういう自分の心性にも腹が立ちつつ、あまり真剣に考えてもしょうがないよなと思ってすぐ忘れてしまう。それでも、「人生なんてそんなもんやしな」とはやはり言いたくない。

20代の初めからちゃんと働いている友人がふらふらしている自分にむけて抱いているイラつきというのはこういうものかもしれないと思う。駄目な奴だとは思うけど羨望がゼロとは言えないことにより腹が立つ、みたいな。

「わかるよ」、「その気持ちはわかる」。愚図な友人の最近の口癖には左のような言葉もあるのを思い出してまたムカついてしまった。彼は愚図だけあって論理でやり込められる機会が人より多いのだが、論理でやりこめられたときイタチの最後っ屁のようにしてその相づちを使っている。

あれでなかなか便利な言葉を使ってやがると感心してしまう。条件付きだがかしこいと認めざるを得ないだろう。愚図としての最適な経路を通っていると思うから。そんな芸当そうできない。大抵誰にだって恥も外聞もあるから。やっぱり「人生なんてそんなもんやしな」と言えるだけのことはある。

 

男の器量 (知的生きかた文庫)

男の器量 (知的生きかた文庫)