だから結局

So After All

東京4年生


パソコン音楽クラブ "Night Flow" Release Party at Shibuya WWW 2019/10/26

【 28:36〜 】



東京に暮らし始めて丸3年が経った。

3年あればいろんなことが変化する。スピーディというよりは目まぐるしい、ビッグ・シティ東京においては尚更だ。

たとえば渋谷では、3年3ヶ月の休業を経てPARCOが再オープンした。東京に来てからというもの、渋谷はもっとも出かけることの多い街だったが、自分がいつも見ていたのはPARCOなき渋谷だった。PARCOのない渋谷というのは苺の乗っていないショートケーキだというのは言い過ぎにしても、和栗の乗っていないモンブラン相当ではあるんだろうと、再オープンしたてのPARCOに遊びに行って思った。

他にも、3年前といえば、渋谷ストリーム、スクランブルスクエアはようやく工事が始まったところで、当時の印象は「工事ばっかりしてる駅」だったのが、工事中だったビルたちも今や立派にそびえ立ち、Entertainment City Shibuya としての偉容を存分にアピールしている。

いま、渋谷は新宿に近づいてきている。もともと好きだった新宿の良さはビジターズホーム属性にあると思っている。全員にとってのアウェイという感じ。皆が新宿にやってきて、遊び、それぞれの場所に帰っていく。でっかい砂場のようなもので、砂粒のひとつひとつに記名されているという気遣いはない。渋谷でもどこでも都会におけるそういうアウェイ感はどんどん増えてきていて、渋谷をホームに設定している人たちの肩身はどんどん狭くなっていると思う。私の感覚では、そもそも渋谷をホームだと思うのがおこがましいので、ホームを所有したい人は郊外の街に行けばいい。

 

僕の名前は銀河 たましいはホームレス  永原真夏/ホームレス銀河

 

私には自分の居場所などなかったし、それがここではないどこかにあるはずとは思っていない。たんに、その時、自分のいる場所が自分の居場所なのだが、それを自分のホームだと思うのは拒否していたかった。いつも幾ばくかのアウェイ感を枕の下に入れて、その日の快眠のおまじないとしてきた。

これを安心できる寝床と満足のいく食事が安定供給されている現代特有の感覚だといって責められたとしても仕方がないとは思っている。とはいえ、責めを受ける気はさらさらなく、うるさい声からは黙って離れるだけだ。

典型的な都会生活者である私は、いまの新宿がもつアウェイ感がどこまでも続いていってほしいと願っている。そして、良い傾向なのか悪い傾向なのかわからないのだけど、毎日、渋谷がアウェイ感を増していくのを目の当たりにできていることは、ひそかな、ざまをみろと言ってやりたいような、昏い喜びになっている。

 

 

 

 

逆光〈上〉 (トマス・ピンチョン全小説)

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