だから結局

So After All

朝活が続いている

 
なんと朝活が続いている。続いている以上当たり前に続いているのだが、続いていない可能性もあったわけで、それを考えると、なんと朝活が続いているという若干の驚きが混じった表現になる。とはいえ1ヶ月半ぐらいのものだが。
朝活が続いているのにはいくつかの理由が挙げられる。
 
1.早寝ができている
わたしは睡眠に対する意識が高い。8時間を目標に、最低でも7時間半は睡眠時間に当てている。人にもよると思うがわたしの場合、7時間と7時間半の間に大きな溝がある。7時間ではすっきりしないが、7時間半の睡眠を取ることに成功した日には、最高の気分で朝が始まり、頭がクリアな状態で一日過ごすことができる。この状態はなんともいえず素晴らしく、実際、朝日の輝き方がまるで違う。7時間の睡眠時間になった日には、基本的にはクリアで意識レベルも最上位ではあるのだが、いくばくかの夾雑物がそこに混じるような感じがある。それは少しの眠気のことであるが、少しの眠気の存在感というのは少しではあってもかなり大きい。広々とした体育館にグレープフルーツが一個だけ置いてあるような感じで、全体に対する割合は極小ではあるのだが、他に何もないぶん、一個だけあるモノの存在感が増す。
つまり7時間と7時間半との間には大きな差があり、半時間の違いで残りの7時間の意味が大きく左右されることになる。そのため必死になって睡眠時間を確保しようとしている。5時45分に起きるためには逆算して21時45分の時点では何が何でも就床している必要がある。21時45分に就床していようとするのは無意識でできることではないので、意識的にそこに向かって動かなければならない。せっかく21時45分に就床できたのにもかかわらず、くだらないネットニュース等を見て貴重な睡眠時間をみすみす減らしていいことがあるだろうか。そう思って無理やり寝てしまう。考え事をするのは有り(ただしワンテーマにつき20分以内)、スマホを手の取るのは無し、スマホはサイレントモード(アラーム以外の通知が鳴らない)にするというルール・運用にしている。
 
2.モチベーションが維持できるほどのリターンがある
とにかく仕事に行くのが嫌だった。わたしにとって、朝起きて仕事に行くことのストレスは大きすぎる。行きたくなさが手伝って、これまでは定刻ぴったりの到着を目指していた。不測の事態がひとつでも起きれば遅刻なので、いそいそとした気持ちで通勤することになり、周囲もそういう雰囲気の人が多い車両に乗ることになるので、負の方向に気持ちが増強されていったように思う。殺伐とした雰囲気を一致協力して作り上げていた。
今も仕事に行くのは嫌だが、まず、朝活のために移動すると思うと気が楽である。通勤電車も満員ではないので殺伐とした気分は発生しない。しかもうまくやれば座れさえする。加えて、朝起きて家を出るまでの一番しんどかった動きが、せっかく早寝したのだから朝活したいという前向きなものに置き換わったのが大きい。朝活会場(スターバックス)についたら、読みたい本を読んでもいいし、一日のうちで一番クリアな状態のうちに何かしら考え事をしてもいい。仕事後に同じ作業をするのと比べて、大体1.5倍の効率がある。1.5倍といえば主観的にはほとんど2倍である。すごく得をした気持ちになれる。三文どころではない。
 
3.無理をしない
やらなければいけないという気持ちになるとそこで試合終了ですよと思っているので、嫌ならやめてもいいという考えでいる。気が乗らない日は行かなくてもいいと思っている。たとえば、前日飲みに行ったら翌日は朝活なしとすることに一切のためらいがない。やりたくてやっていることだと思い込むことが唯一の防波堤になっている。
 
4.朝活仲間がいる
任意の誰かを勝手にライバル視して、負けたくないと思うことで、続けようという気にもなる。負けず嫌いで飽き性を相殺するのである。たとえば早朝のスタバは客数が多くなく、固定客がいて、なんとなく席が決まっているのでお互いを認識しやすい。喋ったことなどないが、そいつらに「あいつはすぐ脱落したな」と思われたくない。まあ現実の彼らはそんな暇なこと思わないだろうが、そう思うはずだと妄想するのである。また、友達に朝活ヘビーユーザーがいたこともラッキーだった。そいつにできて俺にできないわけはないだろう、と謎の対抗心を燃やしている。
 
5.今年の冬がしょぼかった
寒さはあるにはあったが、朝活を始めてから本当に厳しい寒さには見舞われていない。もしそんな日が2,3日続いていたら簡単に心折れていたことだろうと思う。冬特有の寒さがなかったことに物足りない思いがないこともないが、あったらあったで嫌だなあと思うはずなのでまあ結果オーライというものだ。
 
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このように朝活を続けられている理由について考えてみると、意志の力50:運50という案配で、ちょうどいい感じになっている。わたしは自分に意志力があるとも思いたいし、ツキがあるとも思いたいので、両方あるから続いていると考えるのは理にかなっていることだ。たとえ自分の中の理にすぎないとしても、自分のやっていることに理があると考え、おもむろに実行するのは、たいへん気持ちの良いことである。