だから結局

So After All

ツイートしようとしたら長くなりすぎた

 

その間にも映画『インヒアレント・ヴァイス』は何度も見ていて、毎回、主人公のドックに勇気づけられてきた。一回見ただけでは何がなんだかわからない映画なので何回も見たほうがいいとは思うのだけど、何回見てもその都度わからないところが出てくる。編集というか話のつなぎ方もサイケというか滅茶苦

茶で、今っぽいユーザーフレンドリーな見やすくする工夫は全然感じられず、別の原理で動いているらしいことだけが伝わってくる。それがどんな原理なのかははっきりしないんだけど、芸術的なものでもスピリチュアルなものでもなく、もっと卑近で、それだけにいわゆるアートを相対化する位置につけている

のを感じさせる。ハリウッドっぽいというか、ポップコーンにラメ振り掛けたらきれいで楽しいでしょ、ポップコーンおいしいし、みたいなひどいノリ。映画では支離滅裂一歩手前で、ドックを演じるホアキン・フェニックスが画面をつないでいる。ホアキン・フェニックスはかっこいいから彼の顔が映画を一本

に束ねている。小説の『インヒアレント・ヴァイス』はホアキンの顔は見えないので(映画を先に見たせいでホアキンの顔で再生されることもあるが)、映画よりさらに微妙な形で全体を束ねる。ピンチョンのどの小説の主人公も、魅力的な造形で、とりあえずの主人公という置き物感は皆無だが、それでも小説

内世界を収めたり束ねたりすることはできないしできそうもない。むしろ小説内で起きる出来事に比べて彼らがいかに無力かということが強調されているぐらいだ。収束の不可能性にもかかわらず、その機能を求められる主人公の受難は典型的な悲劇(あるいは典型的な喜劇)だといえる。だから彼らが魅力的で

あればあるほど彼らを主人公とする小説は面白いということになるし、『インヒアレント・ヴァイス』のドックことドクター・ラリー・スポテッロは、ピンチョンの小説の中でも屈指の主人公だということがわかった。センチメンタルでパラノイア、他人の事件に首を突っ込むことを仕事にしているが公的な権力

を持たない私立探偵で、絶賛時代に取り残され中のヒッピー。しかも元カノに未練たらたら。こういった記号的な特徴を全部のせでトッピングされていて、ホアキン・フェニックスの顔をしていないとなると、その収集のつかなさはモンスター級で、お相手となる陰謀は相当なものにならざるを得ない。

そして実際、その陰謀は大概にしろといいたくなるようなものだ。でも今回引用したいのは小説全体を通して語られる陰謀ではなく、ドックが見た夢で、夢の中の子供版ドックに付きまとう陰謀が明らかになる場面だ。少し長くなるが引用は以下。

 

その晩ドックは、幼い子供に戻った夢を見た。自分と、もう一人、兄のギルロイに似た男の子がいて、午後の〈アリゾナ・バームズ〉で、母親――といってもエルミナではなく、誰かの母親――と同じテーブルに座っている。ウェイトレスがメニューを持ってくる。
「シャノンはどうしたの?」厳密にはエルミナでない女が尋ねる。
「殺されたわよ私が代わり」
「時間の問題だったのね。誰がやったの?」
「ダンナよ。決まってるじゃないですか」
注文が揃うまでウェイトレスは何度か行き来するが、そのつど、殺された同僚についての新しい情報をもたらしていく。凶器、考えられている動機、正式事実審理前の手続き。バナナクリームパイ・ アラモードについての話の途中で、彼女はいきなりこう切り出した。「よくあることよ。セックスしてる相手を殺す。恋している相手さえ殺す。精神分析の医者もカウンセラーも法律家も、できることには限りがある。大通りを何本か越えた向こうに行けば、そこもまたバッドランドなの。そこに行くと他人に規律をつけようっていう人たちの力は及ばなくなるのよ。サウスランドは四六時中、バッドな連中の手中にあるんだから」
「ママ」ちびっこラリーが尋ねた。「その人帰ってきたら、ダンナさんは刑務所から出してもらえるの」
「帰ってくるって誰が?」
「シャノンだよ」
「あのお姉さんの言ったこと、聞いてなかったの? シャノンは死んだの」
「それって、おはなしの中のことでしょ? 本当のシャノンは帰ってくるんだよね?」
「来ないわよ、へんなこと言わないで」
「来るよ、ママ」
「あなた、ほんとに、そう思ってるの」
「じゃあ、ママは自分が死んだらどうなると思ってるの?」
「死んだら、死ぬのよ」
「また生き返れるって思ってないの?」
「やめて、もうその話は」
「でも、死んだらどうなるの?」
「やめなさい、って言ったでしょ」
ギルロイが目を皿のようにして二人を見ながら、料理を引っかき回している。母親似の女は、食べ物で遊ぶのが許せない。「ダメでしょ、あなたまで何やってるの。ちゃんと食べなさい。それと、あなたはね」とドックに向かって、「いつかみんなに合わせないとダメよ」。
「合わせるって?」
「みんなと同じにすること」 彼女はもちろん本気でそう言ったのだ。大人のドックは今、自分の人生が死者に囲まれているのを思う。帰って来る死者、来ない死者、中にはまだ逝っていないのもいるようで、死者のうち誰はどの部類なのか、みんなには分かっているのに、その単純で明白なことが ドックには今ひとつ見えていない。なぜかいつも自分は、事実を把握しないでいられる。

 

長く引用しすぎたかもしれない。衝撃的だったのは最後の一文だ。なぜかいつも自分は、事実を把握しないでいられる。

 

 

インヒアレント・ヴァイス(字幕版)

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  • 発売日: 2015/08/19
  • メディア: Prime Video
 

 

 

LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)

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