だから結局

So After All

「則天去私」について(文学フリマ東京@エ-32)

 

私小説作家は、何よりも「私」というものを大事にする。私は私小説作家ではないが、何よりも私を大事にするという点で、そこらの私小説作家に対し決して遅れを取るものではないと自負している。

昔、啓発広告か何かで、利己的でマナーの心に欠ける人間を啓蒙しようと「ジコチュー」なる言葉を流行らせるキャンペーンが催されたときも中学生ながら反発心をおぼえたような記憶があるし、大学生になってようやく他人の口から「自己が主であり、他は賓である」との言葉を聞いたときにはいたく感動したおぼえがある。私が大事で、自己が主であるというのは当然のことのはずなのに、それを言う人がおらず少し不安に思っていた頃でもあったのでその言葉からはだいぶ励ましを受けた。それを言っていたのは夏目漱石で、その文章は「私の個人主義」で読むことができる。

それから私は夏目漱石に心酔し、読める著作はすべて読み、読み返したり音読したりした。夏目漱石についての評論も手につくところからだんだんと手に取っていき、それでいくつかの名前を新たにおぼえた。
いかに私を保存するか。外界からの刺激に弱く、簡単に感化されたり、融和されたりしてしまう儚い私をどのように消失させないようにするかというのは以降しばらくのテーマとなった。

その方法として硬い外郭を身につけるというのはうまくない手段のように思えたのでそうしようとは思わなかったが、それでも勝手に外郭のようなものは形成されて、その中で安穏としていたいとは思ったし、外に対して無防備に働きかけようとは思わなかった。私を守ることについては、私は、他の人より熱心に取り組んできたのではないかと思っている。外に出て「成長する」と称して、いかにスムーズに組織体に包摂されるかに頭を悩ませるようなことは、一度もしたいとは思わなかった。

外部に作用したいという人は、外部からの反作用を受けたいだけなのだろうと思っている。私も外部からの作用を受けたいと望むことはしょっちゅうだが、それを受けて外部へ反作用したいと考えることはない。外部への反作用があってもべつにかまわないぐらいのスタンスだ。まず私が私の取り分をきちんと受け取ることができるかというのがいつも主眼となっていて、その次のことは、そのときにならないとわからない。(そしてその次のことを忘れたままべつのトピックへ目移りする。)

 

夏目漱石に注目すると、漱石の著作外のエピソードも自動的に耳に入ってくる。その中のひとつで有名なのは漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したというものだ。それはそれでいいのだが、もうひとつ有名なのに「晩年、漱石は則天去私の境地に達し、云々」というのがある。これがいけない。

 

・則天去私

天に則り私(わたくし)を去る。

 

天というのはいろんな解釈ができるけれども、私は「大きなもの」と解釈した。則るというのは基準にしてしたがうという意味がある。つまり、大きなものにしたがって私を去るというのが、則天去私の意味だ。私を守りたい派の私からすると、これはおいおいである。おいおいおいである。

自己が主であり、ではなかったのか。わたしを離さないでいて、ではないのか?

 

則天去私は、漱石の言説の中でもっとも引っかかるところだった。他にも引っかかるところはあったが、自分なりに都度解消してきたので、このあいだまで唯一残った引っかかりだったかもしれない。このあいだまでというのは、その疑問がつい先ごろ急に解けたような気がしたということだ。

はじめて小説を書いてみて*1、それをひとまず書き終えたタイミングで、長年の(そうは言ってもたかだか10年ぐらいだが)疑問が雲散したような気がした。

それは「去私」という言い回しについてあらためて考えてみたことによって生じた霧消で、以下のような道すじをたどった。

 

たとえば、東京を去るというのは東京から離れるという意味である。着目すべきは、東京を去っても東京はなくならないという点である。つまり、従来の(私の)解釈では、去私というのを、滅私とか無死のように、私をなくすというふうに考えてきたのだが、私を去るというのは私から離れるだけのことで私がなくなるということと必ずしもイコールではないということだ。

 

死ぬことを逝くという言い方で言い表すし、言い回しとしてこの場合の去るというのはなくすことだと言えるのかもしれないが、そう言わないでいることもできる。言わないでいることができる余地がある以上私はそう解釈しない。「則天」というのも仰々しい言い回しだが、「運任せ」「出たとこ任せ」ぐらいの受け方をするのが私の漱石観に合う。

だから、則天去私というのも「出たとこ任せで私から離れる」ぐらいの意味だとすると、それなりに受け入れられそうだと思った。離れるというのはふたたび近づくための布石という一面もあることだし。

私を離れてどこに向かうのかは未定、出たとこ任せでどこへでも行ってみようということだとすると、この10年でなんとなくそっちかなと思ってきた道すじと重なり合う目があるように思える。

 

ただ、晩年の境地というのはだめな言い方だとはいまだに思っている。結果的に晩年になったというだけで、本人に今が自分の晩年だという自覚があったとは思えない。明暗が完成してしばらく何も書かない状態が続いていたならまだしも、明暗も完成させるつもりだったろうし、まだその時点では影も形もない小説を書こうという意気だってあったかもしれない人間をつかまえて、晩年も何もあったものではない。たとえ自分の体が長くもたないかもしれないと感じていたとしても「今が私の晩年だ」とは考えないはずだと思う。

 

 

[守・破・離]という考え方がある。それによると「離」にいたるためにはあいだの「破」を通らないといけないことになる。私というものを守ろうとしているこの私がたどり着くべき境地として「離」があることはたしかなことだと思うが、そうは言っても「破」なんていう関はできれば通りたくない。

しかし、「序・破・急」でも「破」はあるし、なんとなく「破」は肝になるという予感がある。都合のいい解釈を思いつくのにまた時間がかかりそうだ。

 

*1:2020年11月22日文学フリマ東京@東京流通センター第一展示場 エ-32で出店します。