だから結局

So After All

カーシェア時代のドライブ・マイ・カー

 カーシェアサービスを使って、夜ドライブするのにハマっていた時期がある。よく知らない車でよく知らない道を適当に走らせるうちに、なんとなく知っている車や、なんとなく知っている道ができた。東京にきて5年経つが、知っている道、知っている場所は順調に増えている。あとは知己が増えれば言うことなしなのだが、これだけ人口があって不思議なことに知り合いの数は横ばいである。下手をするとここ一年で減っているかもしれない。なんと言っても、あまり連絡をとらないことの言い訳をわれわれは共有しているし、そのせいでお互い(少なくともこちら側からは)思い出すことも少なくなるからだ。いつか通行したことを思い出せない道路に出くわした場合、その道は知っていた道ではなく知らない道として認識される。相手が人の場合、再会して思い出せないということはないだろうから比喩として適切ではないが、結果としてあながち間違いにならないのが悲しいところで、道でも人でも思い出す機会がないと思い出すことがないから思い出さない。
 本当に自分自身の記憶力にまるで自信がない。最近はとくにそうだ。たとえば同年代の記憶力が良いとは言えない友人と話していて、彼らの記憶力のなさを見せつけられるたびに、これは鏡に写った自分の記憶力なのだと思い知って驚くことがある。それに気づいているあいだはまだマシで、われわれの記憶を全部保持している存在がいたとして、客観的に会話を聞かれたら、さぞ穴ぼこだらけだということになるだろう。「あーあ、また同じ話を始めたぞ。ほら、また同じ軌道で同じオチに向かってる」。
 もっと突っ込んで考えると、通常時が穴ぼこで、たまに小規模な奇跡が起こって"記憶のゾーン"に入れるというのが実情になっていく気がする。いや、すでにそれが今の実情なのにちがいない。われわれは昔の話をしすぎるし、それらの話は当たり前のように食い違っていくし、同じ道筋になって安心したと思ったら、ふと、またこの話を繰り返しているということに気づく。しかも、今回はたまたま気がついただけで、気づかないまま家に帰ったことも何度もありそうに思える。たしかこの前は……、と記憶を探ろうとしたら本当に一寸先が闇のような状態になっていて、その空洞(?)のあまりの綺麗さに怖くなって、あわてて思い出そうとすることをやめる。
 新しいことを知りたいという気分が高まるのはそういうときだ。好奇心だとか、探究心とかいう言い方をして良い気分になっていたが、それもなかなか難しい。たしかにそういう側面がかつては多少なりともあったし、今でもあると信じたいのであるということにしているが、過去へのアクセスが容易でなくなっていっている今、そういう新しいものに飛びつきたい気分というものの中身は何かと考えるに、逃避だというのがどうもしっくりきてしまう。思い出せなくなった記憶の代替として、新しい物事というのはインスタントに供給されるし、自分に言い訳する必要もなく飛びつくことができる。グーグルマップに頼るまでもなく、そんなのは浜辺でぱしゃぱしゃやっているだけだとわかるが、サーフィンだって、言えばそれと同じだし、ただ自分のボードが見つかっていないだけだと開き直ることも容易い。思い出せないし、たとえ記憶のゾーンに入れても思い出すこともない新しい物事を積み重ねていくのは暇つぶしにはなる。暇つぶしにはなるが、それは目先の小さな退屈に効果が限られており、たまに目の前に現れる巨大な退屈を多少なりとも軽減しようとする役には立たない。それでも目先を変えるのには適当で、新しいことには未知の領域があるから、そこにある何かがひょっとしたら役に立つのではないか、と期待することはできる。そして、何度期待はずれということになっても、それは自分の責任ではなく、対象の不足で片付けられる。そうやって無傷で新しい物事に期待し続けているうちに、思い出すことそのものと思い出す回数の両方が減っていく。
 昔のことは忘れていく、新しいことには思い出すべきものがない。退屈なのか空洞なのか、とにかく巨大な何かが一寸先よりも間近になって、また視野から余白が少なくなっていく。
 これは私のものだといえるものを持ち、それに自分自身を仮託するという方針は羨むべきものにみえる。自分自身をこれに仮託するという仕事も物も持たない以上、この羨望は避けがたい。しかし、これというものを持たないことで両手が空き、フリーハンドで進めてきた道がある。しかも間違ってはいけないのは、これという物、これという仕事というのは、それを自分に仮託することができるだけで、一体化するわけではないということだ。それに掛けてきた時間、費やしてきた労力が、仮託する力を実効上のものとするだけのことで、たとえ一体感があったとしても、それは錯覚でしかない。それを知らないでいると、傍目からは目指すべきものであるように映る。そしてそれを手に入れようとジタバタする過程で、これまで通ってきた道のことをすっかり忘れ、無いものとしてしまう。大事なのは仮託先ではなく自分自身なのに、自分自身が大事だから仮託先が大事なものになるのに、自分自身を手放す方便としてコレというものを適当に決め打ちするのは、新しい物事へ向ける期待と同じようなものだ。
 どこかいい加減なところで切り上げて「私のものはこれです」と宣言するのはそれが必要になったときのみに許される。まず申請して許可されてから始めるというのでは後手に回るから実際には事後承諾になるだろうが、それでも本当に必要だった場合、振り返り見てこの時点から必要というときの「この時点」というのはそれなりに伸びるから問題はない。決意に先立って決定がある。覚悟を決めるのではなく、行動ののち、だんだん覚悟していくというのが正しい順序だ。
 生きていきましょうという決意にしても、現に生きているものからしか聞かれない。こうして生きている、それでたくさんだというのは、追い詰められたものの悲痛な叫び声だが、誰しもいつか、それぞれのタイミングで発することになる、われわれにとっての「私の声」だ。それを先取りして、私以外の人の口から発せられるのを聞かせられたり、すでに私自身によって発せられた私の声をあらためて聞かせられるというのは、奇妙な反復であり、重ね合わせである。
 この私を手放さないまま、誰かの声を私の声として聞くということが演劇には可能なのだと思う。まず、それが可能だと感じられる何か、その何かがたしかにあると信じられる私個人的な瞬間がある。それを一切損なうことなく、観客にひらいていく。そこに人前で演じることの意義がある。そしてもし、観客にひらく必要がないとすれば、単に自分の声に耳をすませばいいだけのこと。自分の口からだろうが、自分以外の誰かの口からだろうが、そんなことには関わりなく、これこそが私の声だと感じられる声を聞き取れるようになれればいいだけのことだ。