だから結局

So After All

人前で話すこと

この前、渋谷ロフトで開催されていたライターのプレゼン大会を見に行ってきた。

自分はプレゼンによわい。人前でプレゼンしているというだけで尊崇の念をおぼえてしまって、プレゼン内容に加点しまくってしまう。めちゃくちゃなことを言っていたとしても「人前で堂々としていてすごい…!」という気持ちがすべてをかき消す。度を越してしまうとよくない。こういう奴が集まるから変なカリスマが生まれるんだと思う。そう自戒しつつも、やはりプレゼンによわい。自分ができないことをやっている人というのはどうしても見上げてしまう。

 

人前で話すことがとにかく苦手だ。物心ついた頃から、気がつけば30越えてた今になるまで、ずっとできないでいる。

長年の研究の結果、これには大きくわけて二つの要因があるとわかった。それを二つにわけないまま「人前で話すことが苦手」としてきたのが苦手を解消できなかった大きな理由だと思う。その原因というのは要するに以下の二つだ。

 

ひとつは人前に立つと緊張するということ。

もうひとつは物事に筋道を立てて話すというのを普段やっていないということ。

 

これらをひっくるめてただ漫然と「人前で話すことが苦手だなあ」と、ついこないだまで思っていた。分析しないままただ苦心していた。そんなのはひとつも包丁を入れないまま大根を煮ておでんを作ろうとするに等しい。うまくいきっこない。その苦心の仕方が、普段いかに物事への筋道立てたアプローチをしていないかということの証明にもなってしまっている。

なぜそういったアプローチをしないのか、というところに言い分がないわけではないが、それは今はおいて、どれだけ筋道立てないのかというと、会話においては単語単位で喋っているということが挙げられる。会話などで言葉を発するに際して、最低語数の法則に従っているのだ。最低語数の法則というのは、いかに短い言葉で思いを表現できるかというところに重きをおくものである。同じ内容を表現するとき、長いバージョンと短いバージョンがあるとすると、一も二もなく短いバージョンを採用する。これが最低語数の法則で、法則圏内では言葉数は少なければ少ないほど、言葉長は短ければ短いほど徳が高いとされる。

情報伝達に効率を求めるというのがこの価値観の基にあるのは疑いないが、効率をこえた美学の域に達しているため、排他的な考えに陥ってしまい別バージョンには見向きもしなかった。本当は両バージョンを使い分けて、適宜切り替えをするのがいいはずなのだが、とにかく短いのがいいと思っていたからそうしなかった。

しかし、長いバージョンは短いバージョンと同じぐらい有用である。今の自分の感覚では長いバージョンのほうが使い出が多いと思われる。というのも、短いバージョン仕様の言葉を継ぎ接ぎして長くしようとするのはむずかしく、場合によってはかなり不自然になる。継ぎ接ぎしながら自然にするためにはかなりの労力を払わなければならないのだ。

反対に、長いバージョンに特化している場合、それをぶつ切りにして会話に供することもできる。放り投げておいて食いつきがあれば全体を出してもいい。必要とあれば気まずい沈黙を埋めることもできる。

長いバージョンを使えるようになるためには訓練がいるらしいことまではわかった。そこまではわかったが、どんな訓練が効果的なのかというのはまだわかっていない。

大きなパラダイムシフトを起こさなければならないという予感はあるのだが、具体的にどうすればいいのか思い浮かばない。まずは人と話しているとき相手の顔色をうかがう癖を直したほうがいいんだろうと思う。響いていないと思うとすぐに自分の話を終わらせたくなる。長めの話をしなれていないのではじめはうまくいかない。それで臆したり億劫になったりしているといつまで経っても長いバージョンを使えるようにはならないので、腹据えてやってやろうと思う。

不惑まで10年切っているのにまだこんなことを言っているのはどうなんだという意見もあるにはある。一方で、不惑なんてつまらないだけだから無視しろという意見もある。初心忘れるべからずなんて言い出したらおしまいだよというマインドがそう言っている。

それはそうだと思うのだけどそいつにマイクを持たせたままにしておくとしまいには「話長いだけで面白くないジジイになるだけだろ」とか言い出すと思うので、その辺も切り替えつつやっていくほうがいい。

 

人前に立つと緊張するというのはちょっと対処がむずかしい。慣れなんだと思うが、足がガタガタ震えたとしても気にしないことだ。やっぱり恥ずかしいのでむずかしいけど、その恥ずかしさを乗り越えられると緊張するのレベルがちょっと下がるのではないかと思う。あとはイメージトレーニング。逆制止法とか有効っぽい。自分はちょっと効いた感じがあった。

まああんまり無理してもつらいが勝つだろうから無理しすぎないで済む方策を考えるのが一番だと思う。人前で話すということを一時棚上げにして、まずは長いバージョンで話せるように訓練するとか。それでブログを書いたりしています。

 

すごいプレゼンすごいと思って誰かをカリスマ視してるようじゃだめだと思って、プレゼン大会の翌日、寄席に行った。人前で話せるようになるというのが対処として本当だと思うが、そんなのは一朝一夕でどうなるものじゃない。

およそ15分の持ち時間を笑いで満たす芸人というのは本当にすごいと思った。とくに東京丸・京平の漫才は衝撃的で、「人前で緊張する」なんて悩みが馬鹿らしく思えた。京丸の漫談をだまって聞く京平の佇まいに何らかの真髄を見た。なんでもありなんだということ。なんでもというのは自分が思っているよりも「なんでも」であって、小賢しく範囲を決めつけないことだと思った。悩みは解決も解消もしていないが、こうやって脱力しているうちに何とかなったりしないかな。