だから結局

So After All

【映画の感想】寝ても覚めても

恋は罪悪ですよ、と言った意味が今ではわかる。

昔は、そんな当たり前のことをいちいち言うのはなぜなのか疑問に思っていた。他人の恋愛観にふれる機会があるごとに、こういった罪悪感と自分の恋愛を無縁に考えている人が想像以上に多いことを知った。悪者になりたくないあまり自分が悪者ではないと思い込んでしまおうとする短絡も目につく。結婚してるから、ということをいう人間の不真面目さは少しも珍しいものではないと思うようになった。浮気はいいけど不倫はだめ、というのは結婚を神聖視したものの見方だと思いきや、そういうわけでもないようで、制度に組み込まれ、それに反することを悪とする(反しないかぎり悪とはしない)という判断のアウトソースにすぎない。相手がそれによってどれくらい傷つくかという観点がごっそり抜け落ちている。結婚してないんだからセーフでしょ、というのは見ず知らずの他人のスキャンダルに関しては言えることでも、友人やそのパートナーに言っていいことではない。契約事項を重要視し、それに抵触するかどうかという寒々しい価値判断をしていて人間同士の豊かな関係が築けるはずがない。

 

この映画では太くて硬いものを折る音を聞かせる。人間が折れる音である。自らを折られたことのある人にとって、その音は耐え難いものだろう。しかも、その耐え難さで終わりにならず結果的に続いていってしまう。致命打のあとも続く関係というものは、現実・フィクションにかかわらずあまり例がない。

 

「いつかこうなるんじゃないかとずっと不安やった」

これは裏切りが顕在化したことによって吐露された思いだが、この言葉の価値は高い。男はそれまで不安を抱えながらそれを外面化させずに、相手を信頼する努力を払い続けてきたことを意味するからだ。その不安は婚約したからといって解消するものではないし、結婚したから一安心というものでもない。人の気持ちは最終のところでわからない。今はよかったとしても、何かのきっかけで相手の心が離れていってしまうかもしれない。結婚によってその不安にふたをしようとするのは間違っている。そんなことをしてはいけないという意味ではない。そんなことをしても本当には不安は解消されないということだ。

自分が相手のことをどうしようもなく好きだからこそ不安な気持ちが生じる。それを避けるためには、好きでもない相手と罪のない関係を築くほかない。そんな回避策より、たとえ裏切られて自分の折れる音を聞くことになったとしても「いつかこうなるんじゃないかとずっと不安」でいるほうがよっぽど価値のあることだと思う。不安を避けるために番うのではなく、不安を絶え間なく作り消耗しながら恋するほうがよっぽど貴いと思う。人に貴賤はなくとも、関係に貴賤はある。そして自分のためにどういった関係を望むかによって事後的に貴賤が生じる。とにかく自分のために相手と関係したいという人間は賤しい。ヤリ目は賤しい。安心するために条件のいい相手と結婚したいと考えるのは賤しい(だけど人間関係はつねに変数をもつものだから、スタートが賤しくてもそれが変化していくことだってある)。

そうは言っても、貴さは人生のオプションにすぎない。必須ではない。そしてそこに貴さの根源がある。べつに貴くある必要はない、罪悪でもあるような恋愛をする必要などない。それでも振り返ってみたとき不可避的に生じているように感じられる何かに殉じて、逆風であれ順風であれ歩一歩踏みしみて進もうとすること以上に価値のある関係はない。もしそういった貴さにもう到達できないとしても、それができないという恨みで、他人の恋愛に石を投げるような賤しい人間にだけはなりたくない。

 

「こんなときでも自分のことばっかり」

女は自分でもそう自覚している通り、自分のことしか考えられない。自分が大事に思う人を大事にしたいという思いしかない。それ以外に優先するものなどないことを知っている。そんな調子でどうやって生活しているのか、浮世離れした感がある。一人二役でのドッペルゲンガー的配役の影に隠れているが、女の生活感のなさもかなり現実離れしている。現実を無視しても自ら思うところを思っているだけで、それ以外には何もないといった風情である。

もしそうでないとしたら、彼女の愛は求めるに値するものだろうか。いろんなものをすべて大事にしていては本当の本当に大事なものを大事にする暇がなくなってしまうではないか。彼女の他人から愚かさとして指さされることになる選択は、彼女自身の全的な没入を示している。致命的な行動だけが真に人を生かしめる。たとえ瞬間でしかないにせよ、少なくともその瞬間においては。

 

女が致命的に相手を大事にするということを知っている男は、それを知っていることによって二重に折られた男は、ただ無気力に川の流れを眺めるばかりである。女はその隣にいて川を凝視する。そして呟くように、しかしはっきりと、彼女の所信を表明する。

 

 

寝ても覚めても